実家の”桃の花”、本当は”枝垂れ梅”。
今日は、週に一度、実家に行く日。
高齢で慢性疾患を持つ両親にウイルスを感染させない為に、私が感染しないように日々努力はしている。
でも、万全ではないので、不安はある。
賭けみたいなもの・・・。
今日も、家のことをして晩ご飯を一緒に食べた。
雨だったし、早いけど夕飯前にお風呂にも入ってもらった。
ご飯を食べたら寝るだけの状態。一安心。
私の作った夕食を「美味しい」と食べてくれた。
タイトル「実家の桃の花」。
なんか、桃の花と違うな・・・と写真を見て思っていたので父に確認した。
今更だけど(笑)。
そしたら、「あれは枝垂れ梅や」だって。
今更だけど・・・桃の花でないことが判明(笑)。
私が聞き間違えたのか、父が言い間違えたのか・・・。
きっと前者かな(笑)。
因みに、実家には、桃の花も咲く。
夕食前に、花が枝垂れ梅と判明した後「(庭には)ユスラウメもあるんや」とか「花梅の枝垂れ梅やで」と父が話してたら、
『七重八重 花は咲けども山吹の 実の(蓑)一つだに無きぞ悲しき』と母が突然言い出した。
庭には山吹もあるらしい(笑)。
今は梅の話、というと「そうなん。」と笑う。
でも、すぐにこの歌を言う。何度も上記の会話の繰り返し(笑)。
母は、斎藤道三が詠んだ歌と言う。
父は、斉藤道三が蓑を借りに行った家の娘がこの歌を詠んで、山吹の花を差し出した。蓑を貸さない娘に憤慨した道三だったが、後になって本当の意味を知る話だと言う。
蓑が貸せない程、貧しい家だと言うことを、山吹の花を差し出すことで伝えた話だと。
私は、「へーそうなん」とか「山吹の花って綺麗やんね~」とか「来年は山吹の写真撮ろう」とか相づちを打ちながら、
色んなことを忘れていく二人が、数分前のことを覚えていない事も度々ある二人が、
この歌や、この歌の意味や、場面を覚えていることに感心してた。
勿論、5~6回は、全く同じ会話が繰り返されたけど(笑)。
家に帰って、調べてみた。
『七重八重 花は咲けども山吹の 実の(蓑)一つだに無きぞ悲しき』
別荘にいた時蓑を借りに来た人がいたので、山吹の枝を渡してやったら翌日その人が意味が分からなかったと聞いてきたので、この歌を詠んで渡した。
「山吹が綺麗に咲いている屋敷だが、山吹に実の一つも出来ないようにこの屋敷には蓑一つ無いんだから悲しい」という意味。
後世の人に受け入れられ、かなり広く知られていた歌で、それを知らなくて太田道灌が恥ずかしい思いをしたと言う話。
その後歌道に励み歌人としても名高くなったというのがさすが偉人だと思う。
でもこのエピソードは作り話という説もあるらしい。
真実は、以外と不確かなものなのかも(笑)。
父と母は、登場する人物を斎藤道三と言っていた。
調べたら、斉藤道三と山吹の花のエピソードでかいている物も少しある。
けど、太田道灌の方が数が多い。
学がないので、どちらが正解か私には分からない(笑)。
分からないけど、歌を暗記してた母が凄いと思う。
山吹の花のエピソードを覚えてる(登場人物は違うかもだけど)父が凄いと思う。
このエピソードを扱った、印象深い時代劇があったのか、小説で読んだのか分からない。
でも、二人の記憶に深く刻まれている。
嬉しそうに話す母の顔を見ると、とても幸せな記憶なんだろうな、と思う。
テレビや本が、最大の娯楽だった頃の、昔々の幸せな記憶なんだろう。
帰り道は冷たい雨だけど、若い頃の父と母に思いを馳せると、心はほんのり温かかった。
帰ると、私を癒やす本物の温もりが(笑)。
もふもふして、暖まった。
有り難う。



で、今日のタイトル。
「実家の桃の花」は「枝垂れ梅」です。

タイトル、編集で今から訂正しますので、ご笑覧下さい(笑)。
では、また。