うちの ねこ神様

ねこと暮らす日々のこと。

26年。

阪神淡路大震災から、26年が経つ。



大きな地震だった。




前日、主人と私の実家に行っていた。

凄く寒くて雪がちらちらと舞っていたのを覚えている。

母が「今日は凄く寒い。地震が来ないといいけど・・・」と帰り際に言っていた。

その時には、こんな大きな災害が翌日に起こるとは思いもよらなかった。



母は、時々勘が鋭くなる気がする。

例えば・・・と言われても細かくは思い出せないが、そう思うことが多々あった。

霞が関サリンの事件が起こった時も、

母が「オウム真理教じゃない?」と言っていた。

事件発生時は、マスコミもそんなことは言ってなかったと思う。

地震の事も、そんなに頻繁に口にしていた訳ではないので、

母の勘が当たった、と思った。




当時住んでいたのは、主人の実家に近い団地の4階。

お腹の中には長女がいた。


ゴーッと言う地響きのような音。

夢現で、飛行機が突っ込んできたのかと思った。

揺れが来たのはその後だった。



大きな地震



外に出ても余震が何度も来る。

大きな余震。

ガスの匂いがする。

すぐに、主人の実家へ安否確認へ行く。



実家は屋根瓦が落ちた個所があるが、両親とも怪我はなかった。

携帯電話は不通で、私の実家の安否確認ができない。

主人の実家に電話線の電話(昔からの黒電話。緑色だったけど)があったので、

連絡を取ることができた。

私の実家の方は、揺れたが大きな被害はなく、停電で済んでいると。

怪我はなかった。




震源地は淡路とのニュース。


主人も私も仕事へ行った。


そのうち、長田区で火災が起きている、

西市民病院が潰れている、

阪神高速が落ちた、

三宮センター街ののアーケードが落ちてる・・・

被害のニュースが次々と流れてくる。


全容が明らかになると被害の大きさが見えてくる・・・。


大きな余震が続く。


私が先に仕事から帰り、主人が無事に仕事から帰ってくるまで不安で仕方なかった事、

今でも鮮明に覚えてる。




日に日に被害が報道される。

その、光景に涙があふれた。



大好きな街が見る影もない。


こんな大きな地震が起こるなんて・・・。


その時は、そう思った。



けれど、その後も各地で大きな地震は起こった。

その度に、

悲しみは深く、薄れても消える事はない。



たけど、人は強い。

立ち上がろうとする。


沢山の人の思いやりや優しさ、それは傷を癒してくれる。


少しでも痛みを和らげようと思う優しい心が・・・

痛みを和らげる。

少しづつだけど。



記憶は薄れて来るけど、あの時の思いは忘れない。


命の儚さと、強さを思い知った。


家族みんなが無事だったことは奇跡のようなことかもしれない。

その事に感謝して。




鎮魂の日。

突然命を失った、全ての人に。


この先、何年経っても。


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大好きな街に沈む夕日を眺めながら暮らしていこう。この街で。 10月18日撮影

では、また。