涙があふれて・・・。
昨日のブログ。
中学生の息子との事を、思い出した、私の心の波紋のようなものを、
ブログに文章として残したくて書いた記事。
☆やブコメを頂いた。
ブコメを読んでいると、涙があふれる。
自分でもびっくりするくらいに、その温かさに泣けてくる。
子育ては、親も一緒に成長していくものだとよく言われたり聞いたりした。
親になって、子どもの幸せを考えた。
何をしたいかなんて、子どもには分からないから、沢山の選択肢の中から、何かを見つけられたら、と思った。
それが、子ども達が、情熱を傾けられるものになるかもしれない。
何かに打ち込んんで、生きていくことは、子どもの人生を豊かなものにすると、信じていた。
だから、子ども達に、塾に英会話・習い事やスポーツ、色んなことをさせた。
そう、「させた」だ。
娘も、息子も、とても頑張っていた。
大変だけど、夢を持って楽しんでいると思っていた。
そう、「思ってた」だけ。
子どもの人生は子どものものだけど、幸せになるための基礎は親が準備してあげれるならと思っていた。
様々な経験は、将来夢を見つけた時に必ず力を発揮すると信じた。
でも・・・親が幸せだと思ったレールを敷いて、その上を、脱線しない様に走らそうとしていたにすぎない。
自分ができなかった夢や可能性を勝手に託したのもある。
小学生の息子は、塾や習い事で、自由時間はほとんどなかった。
他の子もそんな子は多かったから、息子だけが特別だとは思ってなかった。
もっと頑張ってる子もいるよ、くらいに思っていた。
私の母に『勉強頑張ったらお母さんが喜ぶから』と言ってたと聞いた時は、
誰かの為でも、頑張って力がつけば息子の為になるから、それでいいと思っていた。
今やらないと、やりたいことを見つけた時に間に合わないから、と本気で思っていた。
何かを始めるのに、遅すぎることなんてないのに。
その時の私は気付けなかった。
中学2年になった息子が、敷かれたレールに反発を始めた。
私は毅然とした冷静な母親でいようと思ったが、想定外の出来事に、だんだん対応できなくなっていく。
主人はどっしりかまえていて、「男の子はこんなもんだ。ちょっとやんちゃなくらいどうってことない」といつも言ってた。
主人がいたから、私はあの時、なんとか息ができたのかもしれない。
今でも、主人に感謝している。
「いい加減に子離れしてな」と主人によく言われた(笑)。
「息子の為」と力み過ぎて、必死の形相で息子を抱え込もうとしていたんだと思う。
息子は、息も絶え絶えだったのかも。
母親を喜ばせるために頑張ることに。
SOSはとっくに出てたのに。
小学生の息子が、母に打ち明けた時に、気付いてあげたらよかった。
昨日のブログに書いた出来事は、息子の心が、「自由になりたいんだ」と揺れ動き始めた頃の出来事で、
まだ、「私の言う事を聞く息子」だと思っていた。
だから、約束を破った息子が許せなかった。
真面目で、融通が利かない私にとって、その後の息子の行動は理解できない事も多く、
主人は、「これくらい中学生の男の子ならある事」と言う言葉が救いになった。
理解できなくても、理解してあげたくて、息子の事が大切なのには変わらなかったし、
親だから許せる事で、他人から見たらはみ出し者でも、私は味方でいたかった。
他人から見たら、バカ親だったと思う(笑)。
子どもは都合のいいように嘘も付くし、私がどうすれば味方になるかちゃんと分ってたと思う。
レールを敷いていたころの私なら、それを「ずるい」と怒るんだろうけど、
今の私は、「いいようにあしらわれたな~」と笑える。
必死だったあの頃の私。
子育てをしながら、気付いたら、私が育てられてた。
頭でわかっていた「子どもの人生は子どもの人生」。
本当は分かってなかった。
きっと「子どもの人生は、産んだ私のもの」そう思っていたんだ。
自分が思う幸せを、子どもに押しつけようとしてただけ。
中学生になった息子が、「もう嫌だ!!」と反抗してくれて本当に良かった。
その時は必死だったし、死んでしまおうかと思うくらい悩んだ。
「いつかは笑い話になるよ」そう両親に言われ、頭ではわかってたけど・・・。
いつまでも抜け出せないような気がしていた。
息子の中学の卒業式で、私の頭の中には尾崎豊の「卒業」が流れていたな~(笑)。
けれど、
止まない雨はない。
明けない夜はない。
禍福は糾える縄の如し。
今では、笑って話せる。
笑えない時もあるけど(笑)。
必死だった私の話をする息子にちょっとむかつく(; ・`д・´)時もあるけど(笑)。
あの頃言えなかったことも、今は話してくれる息子が愛おしい。
今の息子の中に、中学生の頃の、愚かで危うくて純粋な息子を重ねる。
行かないと言っていた高校。
中3のお正月が過ぎて、高校受験をすると言いだした。
無事に入学できて、3年間、卒業するまで・・・
正直、不安もあった。
「もう大丈夫」と思う気持ちと、「退学してしまうんじゃないか」と思う気持ち。
高校生になった時、息子が言ってくれた。
「しつこいくらい、探しに来るのが友達にウザがられて嫌だったけど、
あの時、探してきてくれたから、今があるねん。」と。
中学で夜遊びする息子(;´・ω・)。
私は、居そうなところを探して、連れて帰った。
遊んでも、夜は家に居る、それだけは譲れなかった。
まだ、中学生なんだから、どんな誘惑があるかわからない。
そして、どれほど危険かの察知能力はほぼない年代だから。
私に連れられてしぶしぶ帰る息子は友人に
「マザコン」とからかわれたそうだ( ̄▽ ̄;)。
でも、「マザコンで何が悪い」と答えてたそう。
これは、嬉しい自慢(笑)。
どこで子育てを間違えたのか、何が悪かったのかと、頭が変になりそうなくらい考えた。
同じように育てた娘は息子とは違う。
じゃあ、どうして・・・?
そんなことを堂々巡りの様に考えていた。
同じように育てても、子ども達それぞれ、別人格を持つ人間なんだから、
考え方や行動が違って当たりまえなのにね。
そんなことも気付けない、母親だった。
そんな母親に、高1の息子がかけてくれた言葉は、最大限の優しさだ。
必死だった私に悪いと思ったから、ねぎらうように言ってくれたんだ。
その言葉を聞いた時、「私のしたことは間違ってなかったんだ・・・」と思って正直ほっとした。
あれでよかったのか、もっとこうしたらよかったのかも、なんて考えてたから。
でも、ほどなくして、息子の優しさだったと気づいた。
高校生になっても、中学時代の友達と会ってた息子。
遅刻や早退を、何度かして一緒に遊んでた。
ずるずると学校をやめてしまわないか心配した。
高1の夏休みまでは会って遊んでたみたいだった。
夏休み明けてから、何人かの友人とは会うのをやめたと、後から息子に聞いた。
親が何度も会わない様に言っても、こっそりあって遊んでいたのにね。
息子が自分で決めた。もう会わないと。
その後、3年間高校にちゃんと通い「高校楽しかった~」と卒業した。
高校の卒業式は本当に感無量だった( ;∀;)。
勿論、その後も会ってる友人もいる。
言い方は間違ってるかもだけど、自分で考え、息子が選んだ友人達。
もう、親が口出しする必要はない。
この出来事で、「息子の人生は息子のもの」と思い知る。
誰かに言われてする事なんてたかが知れてる。
私が息子を探して連れて帰ったことなど、何の解決にもならない。
息子が遊び続けようとしたら、どうしてでも遊べた。
自分で決めて選んだことこそ、揺るぎないものになるんだろう。
その人の芯のような核のような。根本になるもの。
そして、自分がしてきたことへの責任は自分が負うんだという息子の覚悟みたいなもの。
どんなことも人生において無駄なことはない。
息子は高校生で、本当に自分のやりたいことに出会い、打ち込んだ。
その姿は本当にキラキラしていて、眩しくて。
その姿は誇らしかった。
上手く行った時も、行かなかった時も。
いつも、どんな時も。
今は、違う夢を持つ。
でも、今までの息子が生きて経験してきたこと全てが、息子の人生の糧になる。
無駄なことは一つもない。
長い人生で、少し休んだり寄り道する事なんて、何の支障もない事を、知った。
子育てをして、教えられた。
息子に真剣に向き合って、教えてもらった。
本当に大切なことを。
その頃から、生きていくのが格段と楽になった気がする。
もともと、融通の利かないだけの(笑)楽天家。
そんな楽天家いる?って思うけど(笑)。
息子にも、娘にも、レールの上を走らそうとしていたことを謝った。
怪我しない様に舗装した道にクッションを敷き詰め、転ばない様に手すりを付けて、道に迷わない様にと目印をつけて。
でも人生って自分で切り開いていくもので、事の大小はあっても紆余曲折はあるもので。
息子との事は、書ききれないね(笑)。
まとめられない(;^ω^)。
溢れる思いを書き留めただけだから、支離滅裂(笑)。
子ども達はまだ若い。
長い人生、きっと、辛い事も起きるかもしれない。
でも、きっと自分ので手で切り開き自分の足で歩いて行くんだろう。
傷だらけになりながら、泣きながらでも。
前を見て。
私は、そんな子ども達の、応援者で、味方でいよう。
ずっと。
立ち上がれないくらい疲れた時は、「休んでいいんだよ」って言ってそばにいよう。
息子と向き合って、死にたいほど悩んだ事、息子を守りたくて闘ってきた事、
間違ってても、正しくても、全部が私の人生の糧になっている。
泣きたいくらいの切ない思いも、後悔も、無様だった自分も、今の自分には必要だった。
あの頃の息子と、逃げないでちゃんと向き合ってよかった。
どうしても、書きたくなった闘ってた頃の私。
闘ってた相手は自分自身。
学生の頃聞いた中島みゆきさんの「ファイト!」。満島ひかりさんが素敵に歌ってる。
では、また。