はづき のこと。エピソード10。
はづきは、最期まで立派だった。
そして美しくて、格好良かった。
最期まで自分の足で歩き、はづきがお気に入りだった場所(良くいた場所は、おそらくお気に入り)、全てを巡った。
何度も、何度も。
用事をして少し席を外した後、戻るとさっきの場所にいない。
焦って探すと、別のお気に入りの場所にいる。
夜中うとうとして目が覚める度に、はづきが居なくて探すと・・・別のお気に入りの場所にいる。
私の膝の上にもちゃんと来てた。
写真はあるけど、パジャマだから載せない(笑)。
大切な、私だけの写真・・・。
これが最期かも・・・と思って、毎日写真を撮った。
はづきを写真に残したかった。
痩せたはづきを見るのは辛かったけど・・・。辛そうなはづきを見るのは辛かったけど・・・。
一番しんどくて辛いはづきは、凜としてた。はづきの周りの空気だけ澄み渡ってるような。
こんな時に使う言葉ではないかもだけど、「凜」としていた。
はづきの”生きる意志”のような・・・”生き様”なのか”死に様”なのか・・・。
立派だった。格好良かった。
何度でも言いたい。
食器がいっぱい入ってて重たいのに・・・良く引き出しを開ける力があったね・・・。
はづきのお気に入りの場所は、はづきのいつも居た場所は、はづきにとって居心地のいい、大切な場所だったんだろう。
きっと、お気に入りの場所に、一つ一つ、お別れの挨拶に巡っていたのかな・・・。
はづきの想いがその場所にとどまっているような気がする。
”忘れないで”って・・・。
上の写真が、はづきが生きている最期の写真になる。
もう、血液が十分に回らないんだろう。耳・手足・鼻先は冷たくて、紫色になってきていた。
最期の時が近いのは分かった。
温めてあげたいと、息子が抱いて眠った。はづきは、じっと胸の上にいた。
温かかった?・・・ねぇ、はづき。
この日、私は仕事だった。
翌日は「即位の礼」で祝日。仕事は休み。
あと1日・・・いや、仕事が終わるまで待ってて・・・。
「はづき、大好き」そう言って顔を寄せて、仕事に行った。
もう、何度も何度も言ったその言葉を、はづきに伝えたくて・・・。
息子が、なんとか都合を付けて、はづきの側にいてくれた。
昼休憩中、息子から電話があった。
よほどのことがないと仕事に行ってる私に電話をしてこない。急変したと思った。
電話の内容は「緑色のものを、かなり大量に吐いた」。
おそらく胆汁が混じっていると思った。もう、腸が動いてないんだろう・・・。
息子に、どういう状態か説明して、はづきを頼んで「なるべく早く帰る」と電話を切った。
残された時間はあとわずかだろう。「間に合わないかもしれない」そう思った。
この日に限って、残業だった。月曜日のうえ、翌日は祝日。予測できた残業だった。
「はづき、待ってて。私が帰るまで」心の中でずっと祈っていた。
仕事が終わり、帰り支度をしていると、携帯が鳴った。
息子から「今、はづきが死んだ・・・」と。
息子は泣いていた。
私も泣いた。
泣きながら家路を急いだ。
すれ違う人は驚いたと思う。
いい年したおばさんが泣きながら歩いてるんだから。
今思うと恥ずかしいけど、その時は人目なんか気にならなかった。
19時30分過ぎ、家に帰る。
はづきは、まだ温かかった。
身体も柔らかくて、生きてるんじゃないかと思ったけど・・・もう息をしていなかった。
亡くなる少し前、いつも帰りを待ってるリビングのドアの前にいた、と息子が教えてくれた。
待っててくれたのに、ごめんね、はづき・・・。
待っててくれて、ありがとう、はづき・・・。
最期はソファーに座る息子の横で、眠ったまま静かに逝ったと。
ドアの前でじっとしているはづきを、ソファーに連れてきた息子。
横で眠るはづきが息をしているか何度も確認した。そして、何度かめには息をしていなかった、と。
本当に、静かに逝ったんだね、はづき。
緑色の嘔吐物の跡は床やソファーや椅子の上に残っていた。
息子が拭いてくれたが、跡が残ってる。
大量に吐いたことがよく分かった。
苦しかったんだろうね・・・・。
溜まっていたもの全て出して、少しは楽になって逝けたんだったらいいな・・・。
みんな仕事があるから、最期の時に側にいられないかもと思っていた。
「私が帰るまで、きっと待っていてくれる」と思っていた。勝手な考え方だ。
都合を付けてくれた息子に心の底から感謝した。
息子がいてくれるから、他の者は仕事に行けた。
はづきを一人で逝かせなくて良かった・・・。
側に家族がいて、安心できたよね、はづき・・・。
2019年10月21日 19時15分。
5歳1ヶ月と3日、はづきは虹の橋へ向う。
では、また。