うちの ねこ神様

ねこと暮らす日々のこと。

2022年の実家のシャクヤクの蕾。

今日、実家でシャクヤクの蕾を写真に撮った。

3月は土から新芽が出始めた所だったような気がする。

今年も、葉を青々と茂らせて、蕾を付けていた。



昨年のシャクヤクの蕾を写真に載せてるブログはこちら↓。

nekotokurasu.hatenablog.jp



今年は、牡丹の花は見ていない。

母が切り花にしてしまったのかもしれない。

枯れた花を片付けるのは私か姉。

私は片付けていないので、姉かな…。

それか、今年は咲かなかったのかな…。



今年のシャクヤクの蕾。

今年もシャクヤクは蕾を付けた。4月24日撮影
昨年と同じ頃に蕾を付ける。自然の営みはすごい。
オダマキも綺麗に咲いている。
午前中に降った雨に濡れて綺麗。


一昨年前のオダマキの写真を載せたブログはこちら↓。

nekotokurasu.hatenablog.jp



オダマキも、同じ時期に咲いている。

自然の営みには感動しかない。

人間が叶うはずもない。

奢りもなく、ただ命の営みとして、寒い冬を経て、毎年この春の時期に花を咲かせる。



誰が見てても見ていなくても、美しい花を咲かせる。

ひっそりと、美しく、凛として、そこに咲く。



父は最近庭を眺めている時間が多くなった。

自分の思うように生活が出来ていないだろう今、

父の心にはどんな思いが巡っているのだろうと、考える。



母は、私を娘と認識できない事が多くなった。

名前は分かるが、親戚の誰かか知り合いになっている。

勿論、娘と認識できる時もある。




母が私を分からなくなったら、私は泣くんだろうと母が認知症を発症した頃は、

漠然と思っていた。

確かに、はじめは、悲しかったような記憶がある。

今は、それが悲しいとか辛いとかそんな思いはない。

仕方がない事なんだと思う。




認知症の進む母にいら立つことも多くなった。

後で、反省することも多い。

けど、笑ったり、喜んだり、出来る時間が少しでも持てたら

イライラした嫌な自分は、それでチャラと思うようにしてる。

これは、自分が母にきつく当たったことを、

なかったことにしようとする自己防衛策(笑)。

「最後に笑って別れたから、大丈夫。」って(´-`*)。




今日は、母の日のプレゼントを早めに渡した。

母に似合うと思って買った洋服。

とても似合ってて、母も父もとても喜んでいた。

「デイサービスの着替えの中に入れておくね」と言うと、

「そうして」と満面の笑顔の母。

デイの入浴の着替えの中に入れておかないと、

どこかにしまい込んで忘れてしまうから。

父も「良く似合ってる」と笑顔だった。

沢山笑顔で過ごせて良かった。



何でもない日常が、当たり前の事が良かったと思える。



今年も庭の花を一緒に見ることが出来て良かったと、

ただ、そう思う。




では、また。