2022年の実家のシャクヤクの蕾。
今日、実家でシャクヤクの蕾を写真に撮った。
3月は土から新芽が出始めた所だったような気がする。
今年も、葉を青々と茂らせて、蕾を付けていた。
昨年のシャクヤクの蕾を写真に載せてるブログはこちら↓。
今年は、牡丹の花は見ていない。
母が切り花にしてしまったのかもしれない。
枯れた花を片付けるのは私か姉。
私は片付けていないので、姉かな…。
それか、今年は咲かなかったのかな…。
今年のシャクヤクの蕾。
一昨年前のオダマキの写真を載せたブログはこちら↓。
オダマキも、同じ時期に咲いている。
自然の営みには感動しかない。
人間が叶うはずもない。
奢りもなく、ただ命の営みとして、寒い冬を経て、毎年この春の時期に花を咲かせる。
誰が見てても見ていなくても、美しい花を咲かせる。
ひっそりと、美しく、凛として、そこに咲く。
父は最近庭を眺めている時間が多くなった。
自分の思うように生活が出来ていないだろう今、
父の心にはどんな思いが巡っているのだろうと、考える。
母は、私を娘と認識できない事が多くなった。
名前は分かるが、親戚の誰かか知り合いになっている。
勿論、娘と認識できる時もある。
母が私を分からなくなったら、私は泣くんだろうと母が認知症を発症した頃は、
漠然と思っていた。
確かに、はじめは、悲しかったような記憶がある。
今は、それが悲しいとか辛いとかそんな思いはない。
仕方がない事なんだと思う。
認知症の進む母にいら立つことも多くなった。
後で、反省することも多い。
けど、笑ったり、喜んだり、出来る時間が少しでも持てたら
イライラした嫌な自分は、それでチャラと思うようにしてる。
これは、自分が母にきつく当たったことを、
なかったことにしようとする自己防衛策(笑)。
「最後に笑って別れたから、大丈夫。」って(´-`*)。
今日は、母の日のプレゼントを早めに渡した。
母に似合うと思って買った洋服。
とても似合ってて、母も父もとても喜んでいた。
「デイサービスの着替えの中に入れておくね」と言うと、
「そうして」と満面の笑顔の母。
デイの入浴の着替えの中に入れておかないと、
どこかにしまい込んで忘れてしまうから。
父も「良く似合ってる」と笑顔だった。
沢山笑顔で過ごせて良かった。
何でもない日常が、当たり前の事が良かったと思える。
今年も庭の花を一緒に見ることが出来て良かったと、
ただ、そう思う。
では、また。